黄昏飄然

悠然たる無職を散文的に

経緯


ざんざんと力の強い風と雨が降り注ぐ日曜日に公園にいた。赤い傘をさして、赤いかっぱを着て、人と待ち合わせをした。

もう、全てがびしょびしょで足先の不快指数はメータを振り切り、ほんとうに今日は雨なんだろうか、これは夢の中のわたしの散歩なのではないか、と、考える。


軒並みベンチもぐしょぐしょで、座るところがないから、歩くしかなくて、ただ雨の中を歩いた、歩いた、歩いた。


それで、ずいぶん気持ちが良いなと思ったのだ。雨の日に雨に打たれること、しかも広い公園で。そして、人が極端に少ない。うん、かなり、いいではないか。


こういう、その瞬間に向き合う時間が欲しい。雨を伴った髪が顔にへばりつくのを、ただ、感じたい。


小金井公園の雨と突風に吹かれてとなりにいる人の傘がぼきっと折れた。私の赤い傘はくるっとひっくり返って雨を集めるアンテナのようになった。
わー、折れちゃいましたね、うん、折れちゃった、とその人は静かに笑った。


寝台特急あけぼのの話や、青春18切符でどこどこまで、と、延々と旅の話をした。しかも、うんと寂れて鄙びた旅の話を。

日本海側をね、行くのよ、こう、ずーーーっと、ね。で、がたごと、揺れるわけ。

かないませんねぇ。


この人の喋り方はいいなぁ。やっぱり川上弘美作品群の一景にいるようだ。


都電の頃の旧車両に座って、外が雨に吹かれるのをながめながら、旅はいいなぁ、いいですねぇ、と同じような会話の繰り返し。
その静かなリフレインの中でわたしは何も誰にも縛られない毎日が欲しくなる。誰かに縛られることは、悲しいけれど、もう無いのだ。

わたし、旅に出るよ、と言うと、僕はどうなるの?と聞く背の高い建築家はもう、いないのだ。戻ってくる必要も無くなってしまった。


目が覚めて、あ、今日はどこどこにいってみようかな。今日はひたすら、本を読むべな。我儘気儘にまかせた時間が欲しくなった。




いや。前々から薄々気づいていたのだ。




いいタイミングかもしれない。定期の期限もちょうどいい。



一時的に雲が去って、陽がさしてその光は大きく公園を照らす。しなだれた桜が艶めいていて、故郷の桜に比べ東京は白くありませんか?はぁ、確かに。などと、だらだら喋り、また分厚い雲がやってきそうだったので、早々に解散し、またこの部屋に帰って来た。部屋はなんとなく、淀みにありしんとしていた。

突然なぜか、形容のつかない、尖った、ささくれた気分になる。

そんなときはもう、ブルーハーツと煙草しか、ない。ビールは、無かった。





ソファに座る気になれず、窓辺のへりに腰掛けて、濡れた靴下のまま気持ちをぼんやりと整理していた。マーシーの書く歌の詞は、歌以上に歌になり、詞が胸に突き刺さる。



久々のアメリカンスピリットは重く美味しい。嫌煙家たちの憂鬱。


また、雨がざーっと、来た。雨はきらきらと光っていたように見えた。

外は春の雨が降って、僕は部屋にひとりぼっち。



泣いた。わんわん泣いた。わたしは昨年、大事なものを無くしたのだ。失ったのだ。もう、彼と会うことも、声を聞くことも、無かろう。世界をくまなく探しても、絨毯の裏をめくっても、彼は出てこないだろう。


うんと、ひとりぼっちだ。そして、春の雨が降っている。


仕事を辞めようと思った。自分の心を可愛がってあげるときが来たように思う。