黄昏飄然

悠然たる無職を散文的に

時は金

 

時は金なりについて考慮

かね ではなく きん であって良いような気がする。

 

toki ha kinn 

nari

 

 

かね と 時の価値はいくら考えても かね<とき になるように思うのだ。時価総額という言葉もまた、面白いと思う。時にあわせて、価値がかわる。では、時間そのものの価値は?昭和63年の数分と、平成26年の数分は同じ価値にあろうか?

百円で買える?それはさておき。

 

 

時は金。若さの価値がまさにそれだ。

若さがもつ価値はイコール時間の価値でもあろう。

 

かね、は時に汚いものになりうるが、

きん はいつまでたってもしかと荘厳たる有様で

威風堂々。揺るがないもののように感じる。

銀もダイアモンドも、月の砂も

金 きん を目前にしては何ものも太刀打ちのできない

黄金。まばゆい、金閣寺に見入って火をつけてしまうのも

大いに納得の、あの、きん なのである。魅惑。知らずのうちに魅かれてしまう力を秘めた、黄金色の塊。

 

銀は錆びる。ダイアモンドも磨かなければ光らない。金はいかなる時も

光る?まぁ、それは大げさとしても金はくすぶっても美しい芯がある。埃をかぶって、ほの暗く黴臭い場所にしまわれた金でも、一目みただけで心を射止める在り様。

 

 

 

矢野顕子バカボンのパパで、欲しいのは金の心 と歌う。

ああ、わたしも、金の心が欲しい。

そしてわたしの金の心に魅了された誰かが、できれば違う性器のついた男が

わたしの心に火をつけて

燃やしてしまえば

なんとまぁ美しい金閣寺のできあがり。

 

 

最近はずぅっと、金の事について考えている。

 

日本の男性は金がついているのか。

ああ、なんで女性にも金の字のつくものがあればよかったのに。

 

女性に特化するもの。乳房、陰茎。陰茎なんて暗くていやな響き。貝や花弁と揶揄されるも、それもなぁ。

いや、この先は品が下がる文になってしまいそうだ。

辞めておこう。